瀧澤明子 写真展「りんごの間」

2013年4月2日(火)〜23日(土)    作家略歴


Gelatin silver prints, with Akiko Takizawa's signature and edition notations

   
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「春はまだ遠いな」人影まばらな青森、五所川原の駅に降り立ちそう思った。
宿泊先の温泉旅館送迎バスがもう駅の前で待っていた。
既に他のお客さんは宿に着いているのか、最終便お迎えバス4時発だが、乗客は私一人であった。
津軽でも奥津軽に所在する旅館である事は分かっていたが、そのミニバスは、「このまま何処かに連れ去られてしまうのか」と思う程、雪道を奥へ奥へと走って行く。

旅館のガラス戸を開けると、「瀧澤様いらっしゃいませ」と、宿の大女将らしき老女の元気な声が広い玄関に響いた。続けて「今日は全館お一人様貸し切りなのですよ」と満面の笑顔で言った。
「こちらへ」、と言ったきり寡黙な番頭さんの後について2階まで上り長い廊下の端まで行くと、「お客様のお部屋は、この『りんごの間』でございます」と、眼を細めて言った。
部屋の大きな窓からは、夕映えの中の岩木山が影絵となって一望できた。

山の麓まで広がってかすかに続くのはりんご園なのだろうか。窓ガラスには、オレンジ色に染まった水滴が光っていた。畳には琥珀色の光が溢れゆらゆら泳いでいた。間もなく食堂に降りて行くと大きなお膳の前に「タキザワ様一名」と縦書きの木の立て札があった。鍋がぐつぐつ煮え始めた。
ふと人の視線を感じ振り返ると、磨りガラス向こうに四角い顔をした作業服姿のおじさんが柱を背に直立不動で、何処を見るとでもなし立っていた。

食事の後、浴衣に着替え、地下にあるお風呂へ行った。暗い階段は、虫の死骸を透かした古い蛍光灯で照らされてかろうじて足下が見える。
脱衣室は皎々と蛍光灯に照らされていた。誰かから覗かれている様で、浴衣を脱ぐ前から、既に裸になっている気恥ずかしさがあった。

すっかり疲れている筈なのだが、どうにも寝付けない。襖に取り付けてある頼りなげな鍵を横目にしながら、テレビも天井の蛍光灯もつけたまま横になり、数年前ロンドンで出会った女の子の話を思い出していた。彼女の90歳になる祖母は、彼女が日本を経って間もなく、夜の海に入水自殺をした。彼女は異国の夜の部屋でひとり、祖母の死を思う度に怖くなり、無性に日本の蛍光灯に照らされたい衝動に駆られると言う。「ヨーロッパのこの温か味のある裸電球ではだめなのです。あの白い蛍光灯でないといけないのです。日本の蛍光灯が恋しい」、と強い口調で言った。
暗闇の海で死に向かった老婆、そして都会の夜の部屋でそれを想起する少女、この二つの情景が絶えず私のうちに行き交っている。

 


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