うらかわ かずや             
浦川 和也写真展


Reconstructed

2020年 4月3日(金)〜 4月25日(土)


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−展示案内−



東京の都市風景を眺めていると、都市が記憶喪失に陥っているように感じることがある。

これは、人為的か否かに関わらず、東京が世界的に類を見ないスピードで繰り返してきた更新が要因で、関東大震災と東京大空襲による2度の壊滅的被害とそれらからの復興は、その代表的なものだと言える。しかし1980年代のバブル経済から現在にかけては経済合理性の追求が更新を加速しているように思える。

そのような日本では築50年程度で建築物が取り壊されることは珍しくないが、私達は建物が解体された更地に直面した時、かつてそこにあった建物を思い出せない。この事実は、建物の滅失が私達の忘却を加速する以前に、そもそも私達が建物を意識的に見ていない事実を示唆しているし、当事者として私自身その現場に立ち会ってきた。

イタリアの建築家 アルド・ロッシは彼の代表的な著書「都市の建築」の中で、都市における「場」、建築、記憶の関係について以下のように述べている。

これら(「場」)の輪郭が描き出す個別性は、モニュメントや都市、構築物のそれであり、従って個別性の観念とその境界線、つまりその個別性の始まりと終わりである。それが描き出すのは建築と場所との関係であり、芸術の場である。従ってまた、それは特異な人工的創成物としての場所の観念及びその正確な様相そのものであり、それを決定づけているのは空間であり時間であり、その地理的規模であり形態であり、その場所の歴史の新旧であり、その記憶である。
(都市の建築/アルド・ロッシ著、大島哲蔵・福田晴虔=訳/大龍堂書店(1966) P166)

都市は長い時間をかけて変化し続け、その変化は場所の記憶として建築やモニュメント等に蓄積されていく。そして多様な時代の記憶の蓄積は都市の中に複雑さと矛盾を生じさせ、その複雑さと矛盾こそが都市の個別性を際立たせるのだと思われる。一方、都市の更新は場所の記憶の喪失と表裏一体の関係にあり、急激な更新が記憶の蓄積を追い越してしまえば、場所の記憶を蓄積できなくなった都市は自身の個別性をも失ってしまうことになるだろう。

私は突然に失われるかもしれない場所の記憶を何かに留めておきたいという思いから、都市の建築を撮影して来た。しかし撮影と編集を進めるうちに、一つの建築を異なる視点から撮影した複数のイメージの重ね合わせから生まれる、空間が交錯し時間が捻れたイメージに辿り着いた。その中では、被写体である建築だけではなく、その周辺環境までもが断片化され再構成される。

これらの再構成されたイメージは私達の空間認識とかけ離れたものだが、そこに場所の記憶の蓄積から生じた複雑さや矛盾が潜んでいるような気がしてならない。

2020年4月 浦川 和也



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