星野 寿一 写真展

こうみょう《光明》II 〜“ 鍛 造 “

2020年12月4日(金)〜 12月26日(土)

作家略歴



【モノクロ 19点】
コロジオン湿板技法によるアンブロタイプ(薄いガラスネガ上の物で、黒い布などに置くと反転してポジ画像が見える)とティンタイプ(ガラス板に感光コロジオンを塗る代わりに薄い鉄板を黒く塗り、湿板技法と同じ方法でポジ反転をさせた。現在はアルミの板に黒色などの色が塗られている)によるもので5×7,8×10,16×20インチの大判カメラを使用



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ー展示案内ー

【こうみょう《光明》とは、希望、仏・菩薩から発する慈悲や智慧を象徴する光。あらゆる人を救い、あらゆる願いをかなえてくれる観音。】

 日大芸術学部映画学科の友人が卒業製作に選んだのが、富士山冬季登頂のドキュメンタリー映画であった。「二人の登山家」という設定で自分と日大歯学部山岳会に所属する友人の三人で、吉田大沢を直登するシーンを撮影するため、一週間ほど佐藤小屋の近くにテントを張って過ごした。映画学科の友人は冬山経験が浅く、厳冬期の富士山は無理と考え、春山の時期に実施する事にした。この年は春だと言うのに雪が降り続き寒さと強風が続く日々で、9合目当たりの稜線で滑落事故が起きた程であった。頂上直下の氷雪は青色に輝き不気味なほどの静けさの中、愛用のピッケルで足場を確保しながら登った。
 
 二十歳になる頃、御茶ノ水の古道具屋に「WILLISCH」のピッケルが飾られていた。小遣いを貯めてお店に行くと昨日売れてしまったとの事。それからしばらく経ったある日、山岳雑誌「BHEND」のオーダー申込広告が出ており、早速注文すると半年ぐらい時間が欲しいと言われた。「Alfred Bhend」 製作のピッケルが自分の手元に届き、何時も肌身離さず山行の共とした。その間三度程命を救われた愛用のピッケルだったが、残念ながら山岳部時代の山仲間に貸した後、自分の手元に戻って来る事は無かった。
 
 還暦を迎えるに当たって、家内が何か欲しい物があればとの言葉に、当時ウッドシャフトのピッケルを飾っていた登山用品店の店長に相談したところ、「Ruedi Bhend」製作で有れば手に入るとの知らせを受け、迷う事無く購入する事にした。十年掛かりで収集し、若かりし頃の想いを遂げた「WILLISCH」や「BHEND」のピッケルである。

 義父が大小二振りの刀を所持していた。家内が実家から運んだ荷物から見つけ出したが、登録証が見当たらない、教育委員会に登録手続きをお願いし、審査の結果無名刀ではあるが室町後期の物ではないかとの事であった。

ピッケルを飽きもせずじっと眺めていると冬季の北岳や赤石岳、残雪期の北鎌尾根や前穂高北尾根等々、当時の山行に何時もそばにいて手足の如く働き、そして命を救ってくれた三代目「BHEND」スイスの鍛冶屋が日本刀のごとく丹精込めて鍛え、登山家の魂とも言える数々のピッケル。室町後期という時代背景を考えれば、応仁の乱以後の動乱期に武器として大量に生産された物かもしれないが、オリエンタル(印画紙・フイルムなどの製造会社)時代に親しくお付き合いしていた旧家で大事に所有され、義父がいつもそばに置いて愛でていた刀剣。

鍛えられた鑽で彫られた石仏の如く、鍛錬を積まれた職人技で”鍛造 ”されたこれらピッケルや刀が自分には『観音様』のごとく光り輝いて見える。


                                            星野 寿一



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