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【ステートメント】 生の有限性、そのなかにある無意味さに耐えること。 私たちは、時間をどのように生き抜いているのだろうか。 人生には、意味があると信じていたものが崩れ落ちる瞬間がある。関係が途絶え、記憶が薄れ、ある人の存在が、もはや以前と同じようには私たちのそばにとどまれなくなるとき。そうして意味を失いつつあるものを前に、ふと問いが浮かぶ。私たちが信じていた意味はどこから生まれ、何によって保たれているのだろうか。 ある日、身体のどこかに不意に現れるアレルギー反応のように、死の感覚が訪れる。死は一人の人間の生が終わることだが、その感覚は、生きているものたちのあいだに生じるさまざまな喪失の瞬間にも染み込んでいる。 ある人はこの世を去り、ある人は少しずつ記憶を失い、かつて鮮明だった関係や時間は、ゆっくりと別の姿へと変わってゆく。しかし、関係が終わったからといって、そこに宿っていた意味までもが消えてしまうのだろうか。 不忘(ふぼう)。死を忘れないということ。 記憶することは、人生の終わりを見つめることにとどまらず、むしろ生きていることを振り返る行為である。人生は依然として不完全であり、私たちには理解できない出来事が起こり続ける。それでも私たちは一日一日を生き抜き、消えゆくもののそばにとどまる。私にとって写真は、その時間に耐えるための一つの方法だった。 私は、日常のなかで出会った詩的な瞬間を写真に集めてきた。何も起こっていないかのような部屋、繰り返される日々の営みと待つ時間、理由もなく撮っておいたもの、すでに通り過ぎていった人の痕跡、何の変哲もなかった一日。そこに宿っていた沈黙が、私のもとへ言葉となって還ってきた。 もしかすると、生きるということは、不完全な時間を一つの意味にまとめ上げることではなく、それらが散らばったままでも生き続けることなのかもしれない。写真は、生きる意味を証明するというよりも、何一つ解決されない世界のなかへ私を再び押し戻し、それでもなお、その世界を見つめ続けさせる。 | |||||||||||||||||||
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